La-5(Ла-5)は第二次世界大戦時ソ連のラボーチキン設計局が開発した単発単葉の戦闘機である。独ソ戦中盤に労農赤軍の主力戦闘機を務めた。
Yak-1等のソ連製の新世代戦闘機は全て液冷エンジンを搭載していたが、これは当局の方針という訳では無く、たまたま開発時のエンジン事情による物であった。しかし1941年夏になると優秀な空冷エンジン供給の目途がたったので、全ての新型戦闘機に空冷エンジンを搭載した改造型の製作が命令され、LaGG-3にも改造が指示された。勿論エンジンの挿げ替えは容易では無く、取り付け部の改造だけではなく重心や推力中心、補機類の取付け位置など相当厄介な問題がでてくる。しかしラボーチキンはこれを1941年12月には解決し、試験飛行にこぎつけている。その結果は満足いくもので、速度、上昇力共に大幅な改善が見られたのである。しかしLaGG-3の悪癖が全て改善された訳ではなく、離着陸性能は相変わらず悪く事故が頻発し、航続距離も短く増槽もあったがフェリーにしか使えなかった。この為スターリンがラボーチキンを呼びつけ直々に改善をせまったという。
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La-5の最初の実戦部隊は翌年9月に編成されスターリングラード攻防戦に投入された。そこでその性能をいかんなく発揮した。低空での機動性はこれまでの全ての機体を凌いでおり、操縦には機敏に反応し失速からの回復も容易で、低速でのループやインメルマンターンも可能であった。La-5が多数前線に登場したのは大体1943年のクルクス会戦の頃といわれる。また基本性能向上のためエンジンの換装が何度か行なわれている。
La-5の生産は1944年末に終了し、総生産数は9,920機である。後継機としてはLa-7が生産された。
各種形式
暖機運転するLa-5FNLa-5
最初の生産型。シュベツォフM-82(1,330馬力)搭載。
La-5F
発動機をシュベツォフM-82F(1,700馬力)に換装。最高速度が高度6,200mで590km/hと10km/h向上している。
La-5FN
発動機をシュベツォフM-82FN(M-82Fのガソリン直噴型)に換装。Bf109G-2と遜色ない性能になった。
La-5UTI
複座の練習機型。
シュベツォフ M-82La-5FN
発動機:シュベツォフM-82FN空冷複列星型14気筒1,700馬力
最大速度:648km/h
航続距離:765km
全高:2.54m
全幅:9.80m
全長:8.67m
自重:2,605kg
全備重量:3,402kg
実用上昇限度:11,000m
武装:ShVAK20mm機関砲×2
爆弾:小型爆弾またはRS-82ロケット弾×6
La-7(ロシア語:Ла-7ラー・スィェーミ)は、第二次世界大戦時のソ連の戦闘機で、最も優秀とされるもののひとつ。La-5FNの改良型として、ラーヴォチュキン設計局が開発した。1944年初飛行。朝鮮戦争にも使われた。
最高速度665km/h。低・中高度用として開発されたASh-82FN空冷式レシプロエンジンを搭載していた為、高々度での戦闘には不向きである。もっとも陸戦への戦術支援が主任務の当時のソ連空軍では、ドイツ空軍機との空戦も3000メートル以下の低空が多かった。本機は7500から8000機生産され、ソ連では1950年頃まで使用された他、チェコスロヴァキアでもスピットファイアMk.IXなどとともに戦後しばらく運用された。また、中国人民解放軍でも運用された。
派生型としては、TK-3ターボチャージャーを装備したLa-7TK(Ла-7ТК)高高度戦闘機、機首のASh-82FNエンジンに加えてRD-1ロケットエンジンを尾部に搭載したLa-7R(Ла-7Р)戦闘機、複座の練習戦闘機型のLa-7UTI(Ла-7УТИ)、新型のASh-84エンジンを搭載する機体等も開発されたが、多くの派生型が生産されたYak-9シリーズと違い、La-7シリーズは基本型のLa-7と練習機用のLa-7UTIしか生産されなかった。ソ連では戦中ターボチャージャーの開発は成功せず、La-7と平行して開発されていたYak-9PDやMiG-11も生産には至っていない。その他、La-9シリーズはLa-7の直接の発展型で、Yak-9Pとともに1940年代後半ソ連の主力戦闘機となった。
同時期の多くのソ連戦闘機は、主翼や桁が木製であるため強度の問題で、武装は全て機首に搭載されていた。La-5FNやLa-7では軽量化のため主翼が全金属製となったものの、武装の配置は変更されていない。La-7では3門の20mm機関砲を搭載、軽量化のために1門を降ろす場合もあったが、発展型のLa-9や11では23mm機関砲が3?4門と強化された。機首への多銃配置は、主翼への搭載ほど運動性が低下することがなく、またスペースの関係で搭載弾薬は多くできないが、命中率と瞬間的な発射弾数を優先したものと思われる。ちなみにソ連空軍では、レンドリースされたP-39QやP-40Cの主翼のガンポッドや7.62mm機銃を撤去して、機首武装だけ残して運動性を上げる改造が行われていた
初飛行:1944年
翼幅:9.80 m
全長:8.67 m
全高:2.54 m
翼面積:17.59 m?
空虚重量:2605 kg
離陸重量:3265 kg
発動機:シュヴィェツォーフ製 ASh-82FN 空冷式レシプロエンジン(ПД Швецов АШ-82ФН) ×1
出力:1850 馬力
最高速度(地表高度):597 km/h
最高速度:680 km
実用航続距離:635 km
最大上昇力:1111 m/min
乗員:1 名
武装:20 mm機銃 UB-20(20-мм пушки УБ-20) ×3、または20 mm機銃 ShVAK (20-мм пушки ШВАК) ×2、200 kgまでの爆弾
LaGG-1
LaGG-3
La-5
La-9
La-11
Yak-9
Fw 190
イヴァーン・コジェドゥーブ:La-7を操縦したソ連第一のエース・パイロット。